無宗教という束縛~『池上彰と考える、仏教って何ですか?』(池上彰著)と考える~
寒いですね。
今年の冬は寒くなりそうです。
今回は『池上彰と考える、仏教って何ですか?』(池上彰著 飛鳥新社)を読んで、大げさに言うと現代の日本仏教と日本人について考えてみたいと思います。
日頃思ってることを書いただけ感が否めませんが…
話半分に読んでもらえれば満足です!
個人の意見ですのでよろしくどうぞ('ω')ノ
現代日本の宗教観
宗教観とは言いますが仏教を中心に考えていきたいと思います。
本書はまったく仏教のことを知らなくても分かりやすくまとめられていると思いますので、これか勉強したい人にお勧めできるかと思います。
無宗教という束縛なんてそれっぽいタイトルつけましたが、そんなに小難しい話ではないです。
日本人は無宗教を主張する人が多いらしいですね。ちょっと調べてみました。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190401_7.pdf
どうやら間違ってはいないようです。地域によってもだいぶ違いが出そうな気がしますが、この調査では6割くらいの人が信仰がないと自覚しているようです。(冠婚葬祭以のみの関りを除く)
感覚的にも近い世代で信心深い人にあまり会ったことがありません。また、自分の信仰を主張する人は少ないように感じます。
民間に仏教が広まった鎌倉時代や、国民の戸籍を寺が管理していた江戸時代には、仏教が盛んだったにもかかわらず、なぜ現代の日本では仏教ないし宗教の信仰が衰退したのでしょうか。
実際皆さんはいかがでしょうか?
特定の信仰を持っているでしょうか。
宗教年鑑H27の統計によると日本の宗教信者の総数は188,892,506人となっています。
日本人の人口をはるかに超えていますね。これは、葬式はお寺だけど初詣に神社に行くというように仏教と神道の両方に信仰にあたる行為をしている人が非常に多いということを示しています。
興味深いですね。(笑)
無宗教というより多宗教という感じの印象を受けます。
信仰心は持っていないけど、お寺にも神社にも行く人が数十パーセントいるという統計データになります。(重複しているのは仏教、神道に限らない)
一見矛盾しているようでもありますが、一体どういう状況になっているのでしょうか。
世界のなかでも特異な状況にあると言えるのではないかと思います。
無宗教が普通?
統計データから日本人の多くは信仰心は薄いけれど、文化的、伝統的に宗教とかかわっているということがわかりました。
寺社は観光地やパワースポットとしての位置づけになっているのだと思います。御朱印を趣味にしている人も増えているようですが、信仰というよりはコレクションとして楽しんでいるという印象です。
なぜ信仰心が薄くなっていったのでしょうか。また、なぜ宗教から離れていっているのでしょうか。
これについてはすでにいろんな人がいろんな論を展開しています。
あえて宗教離れの原因について私見を言うと、
科学の台頭と家庭の変化、情報の激増があげられるかと思います。
宗教と言っていますが特に仏教視点で書いていきますね。
科学の革新により、様々なことが論理的に理解されるようになりました。
宗教というとなんとなく超越的なもの、スピリチュアルなものというイメージが強く、論理的に説明できない未知のものであるという認識があると思います。
人間は未知のものに対して警戒心を持つので、わかりやすい科学に傾倒し未知の要素のある宗教を受け入れづらい状況になってしまったのだと考えられます。
そして家庭の変化です。
ちびまる子ちゃんのような昭和の家族モデルは平成には核家族または単身世帯へと変化し令和の今ではそれが一般的になってきています。
以前は三世帯・四世帯家族が多く、各家の文化や信仰は代々家の中で受け継がれていきます。一家団欒の仕方や休日の過ごし方、先祖の話など様々なことが受け継がれます。その中に寺との付き合いや宗教的思想も含まれていたと思います。
もちろん例外はありますが。
それが核家族、単身世帯が増え、曾祖父母や祖父母、親は次世代に家の文化を継承する機会を失っていきます。
そうした環境の中では次世代に文化を伝えるという発想自体が薄れていくのは明らかです。
また、家を出て新たに家(核家族、単身世帯)を築いた人たちは、実家の文化を継承していなければ、寺との付き合い方なんて知る由もありません。実家の菩提寺が何宗に属しているか知らない人は多いです。
あえて勉強しようと思う人も少ないのではないでしょうか。こうして宗教からまた遠ざかっていきます。
さらにそこに拍車をかけたのがネットの普及に伴う情報の激増です。
宗教に関わることは日本ではなんとなく肯定的にとらえられていない節があります。
政教分離の影響なのか、カルト教団の影響なのか、世界で起きている宗教戦争の影響なのか。
宗教には様々な課題があるのは事実です。仏教でいえば葬式仏教(葬式でお金を搾取するだけの仏教)と揶揄されて久しいですし…
宗教者のゴシップもちょこちょこ見かけます。
では、信仰を持たない方が平和?スマート?今どきでしょうか?
無宗教という言葉がいつから使われるようになったか分かりませんが(わかる人教えて)、「日本人のほとんどが無宗教らしいし、特に霊とかも信じてないから私も無宗教です」って人多いんじゃないでしょうか。
バカも休み休み言ってくれって感じですね(笑)
今どきどころか時代遅れも甚だしいでしょう。個性や多様性を大切にする社会において、なんとなく宗教を避ける態度は無知以外の何ものでもありません。
なんとなくあの人種気に入らないから無視しようと言うのと変わりません。
勘違いしないでもらいたいのは、「なんとなく」で宗教を避ける態度です。別に信仰を持ちなさいと主張しているわけではありません。
宗教を必要としない人はそれでいいです。必要と感じた時に門をくぐればいいと思います。宗教は必要とする人に開かれたものです。
社会はそれを受容する態度を持っていないといけないと思います。
日本人は無宗教であるという束縛はありません。
無宗教は普通でもありません。自分の信じたいものを信じればいいだけです。
それは宗教についての教養を身につけるということにもなると思います。
無宗教という選択をするなら、宗教という選択肢も知っておいた方がいいと思うのは私だけでしょうか。
得体の知れない人物や組織がメジャーな宗教の名を語って手ぐすねを引いていることもあるので要注意です。
鵜呑みにするのは危険ですね…
だからこそ!
知ることが大事!
仏教を知る
仏教を知るというか、なにか信仰を持つのであればそれについて知ることが大事です。
まずは知ることです。宗教についての教養を身につけることです。
仏教でいえば葬式仏教と言われることがあるけど、実際のところはどういうものなのか。とか。
もともと民間では葬式を僧侶が執り行ってはいませんでした。
葬式は偉い人だけのものだったんですが、民間の声に応えて国の意向と反して民間で葬儀を執り行うようにした僧侶たちの功績で現代のような形になっていっています。
今では民間の方が僧侶を呼んでの葬式を避けるケースが増えているのは何とも皮肉なことかもしれません。
仏教についていくつか私が書いたものもあります…!
まったく言葉足らずではありますが参考までに。
池上彰さんもちょっと触れていますが、実は仏教って日本人にはマッチしている信仰だと思います。
苦しい世の中をどのように生きていけばいいのか示してくれています。それは超常的な話ではなく、いたって合理的な考え方です。
少し興味がわいてきませんか?(笑)
余談ですが、世の中のものは元素から構成されていますよね。
宗教でも同じようなことを言ってたりします。その構成要素の分類の仕方が違うだけです。科学的に証明されていることが世の中のすべてではないです。
話が行ったり来たりですが…
仏教は発信力が弱いという欠点があります。
今はいろんな方面で活躍している僧侶の方や宗派組織の情報も増えていますが、自分で調べようとしないとなかなか出会うことがありません。
長い間檀家制度が続いて、布教(仏教を知ってもらおうとする試み)が手薄になっていたことと無宗教イコール宗教に対して無知でいいとう風潮が相まって、強固な負のスパイラルに嵌っています。
僧侶は他の僧侶や組織に任せずに仏教が人々の救いの手となる可能性を伝える努力をする必要があります。
自分の信仰について考えたことがない人は特定の宗教を信仰するしないに関わらず、自分の信仰観を持つ努力をした方がいいと思います。
毎回のことながら、気持ちが先行してまとまりのない文章になってしまいました…
改善しようという姿勢が見えませんね(笑)
ああ、自己満足。
ではごきげんよう(^^)/