いまさら聞けない!仏教ってどんなもの? その2【仏教はこうして生まれた】
みなさんこんにちは!
その2【仏教はこうして生まれた】いってみましょう!
毎度のことですが、必ずしも学術的に何かを証明したり、分析したりすることを目的にはしていません。
なんとなく
へえ~とか
だよね~とか
え~とか言われることが目的です(笑)
ではお付き合いください。
はじめに
これから仏教の誕生ヒストリーの覗きに行くわけですが、
覗く前に
仏教の起源は約2500年前のインドのお釈迦さまという人物です。
とりあえず時代背景をおさえておきましょう、
みなさんご存じのカースト制度の社会です。
輪廻転生(りんねてんしょう:生まれ変わり死に変わり続ける)の世界観が常識です。
戦争も多発している時代でした。
バラモン(司祭)
クシャトリヤ(王族)
ヴァイシャ(市民)
シュードラ(労働者)
に分けられます。身分の高さは書いた順番通りです。バラモンというのはいわゆる神聖な力を持つとされる人たちでシャーマンみたいな人だと思います。
何で分けられたかというと、肌の色です。つまりは人種です。現在にも色濃く残る差別のもとはこんなに昔から私たちのDNAに組み込まれているんですね…
一筋縄ではいかないわけです。問題なのは制度よりも自分や相手を盲目的に分けたがる人の心の方ですね。非暴力主義を貫いたガンディーもカースト制度を擁護する立場をとっていたりします。
話がそれましたが、お釈迦さまが生きた時代は現代同様にいろいろな意味で過渡期だったのではないでしょうか。だからこそ新たな生き方を模索し、さまざまな宗教が芽吹いたのだと思います。
そんな背景を心の片隅におきながら出発しましょう!
お釈迦さまの生涯
王子様生まれちゃいました
さっそく生まれちゃいました。
お釈迦さまです。名前はゴータマ・シッダールタと言いました。
お父さんはシャカ国の王様でした。
お釈迦さまのシャカはシャカ国のシャカだったんですね。お母さんはシッダールタ王子を生んで数日後に亡くなってしまいした。
シッダールタ王子は生まれた時から、変わった赤ちゃんで、生まれてすぐに七歩歩いて天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。
おぎゃとは言わなかったようです。
相当な変わり者として生まれたシッダールタ王子はお父さん王に大事に大事に育てられます。
末は歴史に名を残す大王か、はたまた人々を導くブッダ(悟った人)かと将来を嘱望されますが、お父さん王は出家なんてされたらたまったもんじゃないと気をもんでいました。
そんな過保護なお父さん王は、シッダールタ王子が宮殿から出ないように、シッダールタ王子が望むものはなんでも与えたとかなんとか…
そうして大きくなったシッダールタ王子は結婚してひとり息子を授かりました。
しかしこのころには、自分の人生に悶々としていました。
そしてある日、シッダールタ王子の人生を左右する出会いが…
出会ってしまったんです。
老いに、病に、死に苦しむ人に。そして、出家修行者に。
この時、29歳です。
いやいや29歳まで老いや病や死に会わないなんてあるかい!と思いますが、気にしない方向でいきます。
シッダールタ王子はさらに悩みました。
「私もこのまま老いて病にかかり死んでゆくのか…
そんな苦しいのはいやだ…なんとか救われる道はないか…」
思い浮かぶのは出家修行者の姿です。
「…私の生き方はあれしかない」
王子様出家しちゃう
シッダールタ王子出家しちゃいました。
家族のことは気がかりだけど、出家の道を選びました。お父さん王は当然連れ帰ろうとしますが、ついにそれはかないませんでした。
シッダールタ王子はシッダールタになりました。
この時代は出家が流行ってましたので、シッダールタは有名な仙人の弟子になろうとしました。
そして弟子入りし、修行をおさめますが、まだ苦しいままです。
困ったシッダールタは、出家修行者が苦行をして生活しているところを目指しました。
苦行というのはぶっ飛んだ修行です。いばらの上で坐禅したり、息を止め続けたり、食事をとらなかったり、太陽を見つめて目をつぶしたりとおよそまともな精神じゃ生きていけません。
というか死にます。
しかし、彼ら苦行者にとっては苦行において死ぬことはこの上ないめでたいことなんです。
シッダールタはこの異常ともいえる環境で6年間を過ごします。
仙人の修行はさっさとおさめた天才は苦行に可能性を見出したのでしょうか。
衰弱したシッダールタを助けくれたのは、スジャータという町娘でした。
乳粥を食べたシッダールタは健康を取り戻し、苦行では自分は幸せになれないと考えます。
そして、菩提樹の木の下で、ひとり瞑想するのです。
シッダールタはブッダになりました
ひたすらに坐るシッダールタはさまざまな思いに駆られます。
祖国の家族は元気なのか、今日のご飯何にしようか、と思ったかはわかりません。
たぶん眠れない夜には考え事しちゃう感じだと思います。
そうして坐り続け、35歳で悟りました。修行の完成です。
シッダールタはブッダになりました。一切の苦しみから解き放たれたブッダ大変喜んだようです。
ブッダは満足しました。
めでたしめでたし。
最期を迎える
ブッダになれてよかったですね!
ちょいちょいちょい!
はい。それで終わりじゃ仏教は広がりませんね。
しかし、シッダールタは自分が苦しみから解放されたかっただけなので、目的が実現したいま、望むものはありません。
そんなブッダのもとにお告げがきます。
「ひとりで喜んでないで、みんなにもそれ教えてやんなよー」
なるほどわかりました!
とブッダは教えを広めるため旅に出ました。
次第に弟子ができ、増えていきました。
それは僧伽(そうぎゃ・サンガ)と呼ばれる教団になっていきました。僧という言葉のルーツはここにあったんですね。
ブッダには身の回りの世話をしてくれるアーナンダという弟子がいました。
アーナンダはブッダの旅を25年にわたって支えたと言われています。
ブッダは80歳になっていました。
いくら悟りを開いたと言っても人間である以上、歳をとれば病気にもなります。
苦しみに支配されることはありませんが、肉体的な制限はあります。
そして旅の途中で入滅されました。ブッダは最期までアーナンダに教えを説いたのではないでしょうか。そのあたりの詳しいことは『大パリニッバーナ経』に書かれています。訳本があると思いますので、興味のある方は探してみてください。
ブッダという道しるべを失ったサンガはブッダの説かれたことをまとめようと集会を開きました。
集まった弟子たちはブッダの言葉を編纂していきます。その中核をなしたのが、ブッダの側近であったアーナンダでした。
そうしてできたものを「経」といいます。
仏教はブッダだけではなく、多くの弟子たちのお陰で形作られていったんですね。
やがて弟子たちにも弟子ができ、教えは伝えられていきます。
紆余曲折を経ながらも、脈々と受け継がれて今の私たちに至ります。
今も生きる仏教
ゴータマ・ブッダの生涯と仏教誕生の流れが雰囲気わかりましたね!
ゴータマ・ブッダの説いた仏教は、国境を越えてチベット、中国、朝鮮、日本と広がっていきます。
土地や時代が変われば、人々の関心も変わります。
そこでまた様々な派閥に分かれることになります。日本にはいろんな宗派がありますね。
そのどれもがゴータマ・ブッダをルーツにした生き方のバリエーションだと思います。
ゴータマ・ブッダの教えがいろいろな形で現代に生きている感じがして、なにやら壮大な感じです!
ではなぜ今まで仏教は世界中で親しまれてきたのでしょうか。
シンプルに教えがすごく合理的で心に響くからだと思うんですが、
もう一つ大事な要素があると思います。
ゴータマ・ブッダは人間であったということです。
人が人生に悩み、それを乗り越えるために試行錯誤してたどり着いたんです。
めちゃめちゃリアルじゃないですか?
シッダールタ王子は非凡な方であったと思いますが、私たちと同じように悩み、苦しむ一人の人間だった。
つまり、私たちが悩んでいることと同じようなことを悩んだはずです。
だからこそ、ブッダの教えはリアルな言葉として、長い間親しまれてきたのではないかと思います。
苦しくてどうしようもない時、仏教の中にある生き方を頼ってみるのもありかもしれませんね!
次回予告
いかがでしたか?
まあやっぱり手塚治虫さんの『ブッダ』をおすすめします。(笑)
次回何にしましょう。また後で考えます。
それではごきげんよう(^^)/