般若心経ってどんなお経?
いつかやりたいと思ってました摩訶般若波羅蜜多心経の概説です。
ゆるーく気分転換にでも読んでください。
はじめに
はじめにお断りしておきますが、個人の解釈であり、学術的なものではありません。
異論はある前提です。笑
明らかな間違いは指摘してください。
おそらく皆さんは
般若心経って名前は聞くけどどんなこと書いてあるん?
という誰もが一度は思ったであろう疑問を持ってここに来られたと思いますので、
ここではなるべくわかりやすくをモットーにその疑問に答えていきたいと思います。
お付き合いください。
ではさっそく、
1、そもそも般若心経ってなに?
はい、仏教のお経です。
仏教は、バイブルやクルアーンのように唯一の聖典を持つ宗教ではありません。経とはお釈迦さまがおっしゃった教えを聞いた弟子がそれらを文字にしたものです。
後代になるとお釈迦さまが直接おっしゃっていないことも示されたお経が出てきますが、これらは厳密には偽経といいます。
しかしながらそれらも仏教にとって重要な書物でありますから、広い意味ではお経と言って差し支えありません。
ちょっと詳しく説明すると、仏教は伝統的な上座部仏教(スリランカとか)と大乗仏教(日本とか)とに分類できます。
その後者大乗仏教の般若経シリーズの中の1つが摩訶般若波羅蜜多心経になります。
もともとはインドの昔の言葉で書かれたもので、今日日本で親しまれてるものは、あの西遊記で有名な玄奘三蔵法師が漢訳したものなんですよ〜。名訳と言われています。
2、どんな内容なの?
大乗仏教の「空」(kuu)の教えを説いたものです。
登場人物は観音さんと舎利子というお釈迦さまの優秀なお弟子さんの2人です。
観音さんが舎利子さんに大乗仏教の教えを説いていくという流れです。なんですが、注意してもらいたいところがあります。
大乗仏教はお釈迦さまが涅槃に入られて(亡くなって)から発生していますので、実際にあった話ではなく大乗仏教者による創作です。
ポイントは舎利子さんはお釈迦さまの時代の人だということと、観音さんは大乗仏教の代名詞のような菩薩さんであることです。
つまり!
観音さんが、お釈迦さまの教えをいちばん理解していた舎利子さんに新たに生まれた大乗仏教の教えを語る図式になります。
ややこしいですね!
ワンピースで例えるなら、古参のレイリーに新興勢力のルフィが海賊王の何たるかを語るようなものですね。
他にいい例えを思いつきませんでしたごめんなさい。
言い換えれば
元祖海賊王派に新海賊王派(まだなってないけど)が真理を語っているってことです。
仏教で言えば、元祖海賊王派が上座部仏教、新海賊王派が大乗仏教に当てはまります。
前置きが長くなりました。
これからが本題の般若心経の訳もどきです。
はじめにも言ったように学術的なものではありません。語学的ではなく感覚的なものですので、話半分に読んでください!
3、摩訶般若波羅蜜多心経を読んでみる
観音さんは奥深ーい智慧を完成させる修行をなさり、
私たちの世界は、お釈迦さまが言う通り、物質と心の働きという構成要素によって存在しているけれど、それらには本当は実体がない。それらは空であることを発見されました。
そうして悟られた観音さんはすべての苦しみを超越したステージに行かれました。
(修行してたらお釈迦さまの教えを超えちゃったのです。お釈迦さまがあると言っていたものが本当はないとわかったから。)
観音さんは舎利子さんに以下のように言います。
(お釈迦さまより優れた悟りを教えてあげよう)
私たちの世界を存在させている構成要素はすべて仮設定されたもので、実際は実体がありません。
舎利子さん、すべての事物はそれ自体だけでは存在していません。だから、それ自体だけとして生じることも消えることも、汚れることも清らかになることも、増えることも減ることも本質的にはありません。
(椅子で例えると、椅子はそれ自体で存在しません。私が坐ることで椅子になります。上に立てば台になります。
それを椅子だと認識する人がいてはじめて椅子になります。認識する人がいなければ椅子ではありません。再びややこしいですね。)
実体があるように感じても、それは錯覚なのです。
つまり、この世界の中でそれ自体だけで存在するものはないのです。
煩悩もなく、煩悩のが尽きることもないのです。実体がないことにも実体がないのです。
お釈迦さまが説かれた教えすらもすべて仮初の姿なのです。
菩薩(大乗仏教の修行者)は、智慧によって心に波が立ちません。菩薩は心に波が立たないので、不安や不満がなく、煩悩から抜け出したステージに入った人なのです。
過去、現在、未来におられる仏さまは奥深ーい智慧によってこれ以上ない正しい悟りを得られたのです。
智慧の完成たる般若波羅蜜多は大いなる悟りの呪文にして、最上にして唯一無二の呪文なのです。そしてすべての苦しみを取り除く呪文、それは偽りのない真実です。
(般若心経は実は呪文だったんですね〜、どういうことでしょうか。
とりあえず般若波羅蜜多を褒めちぎっています)
般若波羅蜜多において説かれた素晴らしい呪文は以下のよう。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか
(まさに呪文ですね!この短い部分が般若心経のメインです)
この素晴らしいお経は般若心経といいます。
つまりどういうことっすか?
ほんと、どういうことっすかね。笑
訳して読んでもすんなりわかる内容じゃありませんでした…
まあでも、般若心経がお経のなかで言っていることは極めてシンプルです。
「世の中すべて空だ」と言っています。じゃあ空ってなに?って話ですね。
空は無とは違います。空は有でなく無でない状態です。
空とはとらわれない、かたよらないことだと言われているのを聞いたことがありますが、なるほどそうかもしれません。
有でなく、無でないなんてつかみどころがないですね。
一体それはどういうことでしょうか。
例えば、私がいます。
私は頭や手足、筋肉や骨や臓器でできています。どのパーツが私なのでしょうか。頭でしょうか。頭があっても体がないと生きていけません。どうやら頭だけでは私とは呼べなさそうです。
すべてのパーツがそろって私になります。しかし、よく観察してみると、私の本体はないことに気が付きます。
本体はないから有でない。でも確かに私は事象として存在しているので無でもない。
これが空の状態です。仏教は論理的ですね。
俗っぽく解釈すれば、
俺たちの不安や不満、苦しみ、さらには喜びまでも本質的には空なんだよ。移ろっていくものなんだよってことになろうかと思います。
4、結局読んで意味ありますか?
はい、ごもっともです。
ちょっと難しい話になりますが、
お釈迦さまの時代の仏教というのは、出家して特別な修行をした人が苦しみから離れられるステージに行けるという敷居の高いものでした。
出家をしてない人は救済されません。
取りつく島はありません。
それを出家者以外も広く救済していこうとしたのが大乗仏教です。そして、その広告塔になったお経が般若心経というわけです。
なので般若心経を書いたり読んだりして、お経に触れ合えば、そのことによって生まれたエネルギーが自分を救ってくれるかもしれませんね!
現在般若心経は最も有名なお経ではないかと思います。
日課に読まれる方も写経される方もたくさんいらっしゃいます。これからやってみようと思ってる人もあるかもしれません。
意味をわかってなくてやって意味あるのか?と思うこともあろうかと思いますが、
意味あります!
呪文ですから!神秘の言葉ですから!
般若心経に触れた報いが来た人にしか本当のところはわからないですがね笑
般若心経以外のお経では、漢訳がそもそも音訳であり、漢字からはさっぱり意味の分からないものも多いです。
なぜ昔の人は意訳じゃなくて音訳したのでしょう。原文の意味が分からなかったのでしょうか。いやいや、そんなことはないでしょう。笑
神秘の言葉として音が重要視されていたことが想像できます。
当時の仏教を信仰する中国や日本の民間人がインドの音のお経を理解できたとは思えませんが、お経は今日まで伝わっています。
それだけ大事にされる力がお経にはあったのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第ということにしましょう。笑
さてさて、
書きたらないところも余計なこと書いたところもたくさんありますが、これ以上収集がつかなくなると困るのでこの辺で終わっときます。
ということで、訳と言うより概略のようなかんじになりましたけど以上です。
冒頭にもあるように、あくまで個人の解釈で、自分が人に説明するならこうかなっというスタンスで書いております。
特定の宗教や団体の思想を強要したり批判したりするものではありません。
お目汚しでしたm(_ _)m
さようなら、ごきげんよう
参考: NHK100分de名著 般若心経 佐々木関 著、岩波仏教辞典第二版