「マインドフルネス」の世界~『マインドフルネス 気づきの瞑想』を読んで~
約一か月半ぶりに更新します。
秋も深まってきて周りの景色も彩りが鮮やかになってきました。
悩みごとの多い今日日です…そんな時は脳に刺激を与えよう!と思って
なんか新しい本でも買おうかなーと部屋の本棚を眺めていると私を呼んでいる本がいました(笑)
『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ著 出村佳子訳 サンガ出版です。
今回はこの本を参考にマインドフルネスについて書いていこうと思います。
本書の言葉をガンガン借りていきます(笑)
が、あくまで私が共感した考え方や私の考えを書いていますのでよろしくどうぞ。
興味のある方は読んでみてください。
タイトルの通りマインドフルネスとは気づきの瞑想のことです。と言ってもよくわからないのでおいおい解説していきたい思いますが、仏教の禅宗が実践する坐禅とは異なるものです。
また、瞑想にも様々な種類がありますが、本書ではヴィパッサナー瞑想という瞑想法について記されています。ヴィパッサナーとは観察するという意味です。
禅宗の坐禅とは異なるものではありますが、段階として参考にできるところも多いと思っています。
さて、観察する瞑想とはどのようなものなのでしょうか。
幸せと不幸
人間は誰しもが自分の人生の充実を考えます。
ですよね?(笑)
では、人生の充実とは何でしょうか。どのような状態が充実した人生と言えるのでしょうか。
おそらく多くの人は何か好ましいことが続いている状態を充実した幸せな状態だと思うと思います。私はそうです。家庭を持ってそれなりにお金があって、キャンプでもしながら穏やかに過ごせたら幸せだなと思っています(笑)
しかし、実はこれが実現したとしても幸せとは言えないんです。
なぜならこれはこのままでは一時的な快楽だからです。厳しいですね…
仮に私の思う幸せが現実になったとしましょう。
私は幸せだと感じています。そして同時に心の中でいつかこの幸せを失うという恐怖を感じています。
いつか失われる幸せは一時的な快楽なんです。
皆さんも経験があるのではないでしょうか。
幸せの中にいるはずなのに、どこか不安を感じる。お祭りが終わった後ちょっと寂しい気持ちになるようなものでしょうか。
終わるときのことを無意識に考えてしまっていて、100%楽しめないそんな経験ありませんか。
あるという前提で話を進めますが(笑)
なぜそのように感じるかというと、私たちは無意識の中で世の中の「無常」を感じ取っているからです。
無常を心の底に感じながら、人生のどこかにずっと変わらない幸せがあるはずだと思っています。この矛盾が私たちを苦しめています。
この矛盾は私たちに過大なストレスをもたらします。そしてそれをSNSや飲み会、ライブ、パーティーなどいろいろなところで爆発させたりしています。
以前も何度か書きましたが、世の中の苦しみはすべて、自分の思い通りにならないということから生じます。
矛盾は解消した方がいいですよね。
無常が世界の真理なのは間違いありません。だとしたら、人生のどこかにずっと変わらない幸せがあるはずだと考えるところに問題がありそうです。
これがいわゆる欲というやつです。つまり、欲をコントロールできれば心の安らぎを獲得できそうです。
欲をコントロールできる心の状態になれれば、「家庭を持ってそれなりにお金があって、キャンプでもしながら穏やかに過ごせたら幸せ」という私の幸せ像が一時的な快楽ではなく本質的な幸せになってくると思います。
そして 突き詰めれば、人生の本質的な幸せは心の平安、平穏にたどり着きそうです。
皆さんはいかがでしょうか。異論は認めます。(笑)
あれば教えてください!
では、心の安らぎを得るためにはどうしたらいいのか。
ここで登場するのがマインドフルネスです。
欲をコントロールする
欲をコントロールすると言っても簡単なことではありません。欲(苦しみ)からの解放は仏教の到達目標でもありますからね(笑)
簡単にいけば誰も苦労はしませんが、不可能ではありません。すべてを思い通りにするよりはるかに可能性があります。
では、その一歩目として欲についてもう少し考えてみます。
本書の言葉を借りれば、私たちは「もし~~さえあれば症候群」に囚われています。
もし、お金があれば、自分の理解者がいれば、自分に合った仕事があれば、容姿がよければ…
自分が持っていない何かがあれば幸せになれると思っています。
勘違いです。
生きていて幸せを感じる瞬間を観察してみてください。それが永遠に続かない無常なことに気が付きます。
B'zの曲freedomTrainに「幸せはどこにも落ちていない 自分の中にある」という詞があります。外の世界に幸せを求めず、内側を見ないといけないとB'zも言っています(言ってない)。(B'zファンです)
私たちは何かあると、それを心の中で楽・苦・不苦不楽(好きでも嫌いでもない)の三種類にカテゴライズします。
自分を気持ちよくしてくれるものは楽、自分を不快にさせるものは苦、関心のないすぐに忘れてしまうようなものは不苦不楽に無意識にカテゴライズしています。
楽はもっと欲しいという貪りの心を生み、苦は逃れたい拒絶したいという怒りの心を生み、不苦不楽はどうでもいい物事をしっかりと見ようとしない無知の心を生みます。
仏教ではこれを欲を生み出す三つの要素、三毒と言います。
私たちは自分の人生の出来事を絶えずこの三つでカテゴライズして、人生に幸せ不幸せを感じています。
欲をコントロールするどころか欲に操られていますね…
しかし、そのことに気づけた今、少し前進した気がします。
この気づきがスタートラインです。私も今スタートラインに立てた…はずです。
ここから必要なのがマインドフルネスの実践です。マインドフルネスを通して、三毒のカテゴライズを超えた世界の見方、新しい世界の見方を身につけることが可能になります。
マインドフルネスの実践の一つがヴィパッサナー瞑想(観察する瞑想)です。
新しいものの見方を身につけることは簡単なことではないですが、踏み込んでいきます。
マインドフルネスとヴィパッサナーのスタートライン
やっとヴィパッサナー瞑想にたどり着きましたが、これまでの前段がなければ形ばかりのものになってしまうので、人生の幸せ不幸せと欲について考えることは大切な過程です。
ヴィパッサナー瞑想は観察する瞑想です。気づきの瞑想とも言えます。
観察するものは自分(心)です。
ヴィパッサナーの目的は心を清らかにし、心に落ち着きと気づき、集中力と智慧を身につけることです。なんだか胡散臭い響きがありますが、そんなことはないです(笑)
欲に支配されている心の習慣を刷新したいというものなので、超常的な現象もなければ、聖人になるためのものでもありません。
誰もがいつでも始められる心のエクササイズみたいなものです。
具体的な実践方法はここでは言及せず、入り口の部分を紹介していきます。
ヴィパッサナーでは自分の心をまっすぐに観察します。
そして様々な気づきがあることに気づいていきます。
無意識の中で、聞こえてくる音や今日の予定、体の痛み、空腹、悩みごと、楽しみなことなどなどいろんなことが思い浮かび、それらを楽・苦・不苦不楽にカテゴライズしていることでしょう。
私たちは普段カテゴライズしたそれらを思考の働き(言語あるいはエゴ)によって整理します。(お腹が減ったからあとでお菓子を食べて気分よくなろうなど)
思考が活発に働いている状態は、心があっちこっちに乱れている状態です。
気づきの瞑想マインドフルネスでは、それらを思考せず、直接(ありのまま)”気づく”ことに集中します。(お腹が空いていることをただ気づく?など)
意味不明ですか?私は書いていて意味不明です。すみません(笑)
たとえば、「私は瞑想しています」と思って瞑想しているのは思考(エゴ)の領域です。「私が」というエゴに支配されている状態です。
気づきの主体は「私」ではありません。では何が主体になるかというと、サムシング(例えば、智慧や真理でしょうか)です。気づきそのものが主体とも言えるかもしれません。
余計難しくなってしまいました。これをわかりやすく言語化するスキルを持ち合わせていませんでした…
しかし、「私が瞑想を頑張っている」という時の「私」がエゴなのはなんとなくわかるでしょうか。
瞑想を自分勝手な手段にしてしまっています。「私が」瞑想から学ぶのではなく、「私を」瞑想によって観察する(気づく)。その時の主体がエゴではまっすぐにきづくことはできないということだと思います。
端的に語弊を恐れずに言うなら、
あっちこっちにとっ散らかっている心(エゴ)に気づくことで、心が落ち着いて、ものごと本質が見えてくる。そうすると思い通りにならないという苦しみが落ち着き、心の平穏が顕れてくる。
ということですかね!
ここが究極的にマインドフルネスの効能だと言っていいと思います。
なんとなくまとめ
自分の言語能力の低さに驚愕しています。
前述しましたが、マインドフルネスでは普段の心の働き(思考)とは別のものの見方が必要です。なので、まったく簡単なものではありません。が、漠然とした不安のなかを生きる私たちに希望を与えてくれるものになり得ると思います。
そして、気づきの世界は言語を超えた実践の世界で体験するものです。
私の文章やいろんな本に書いてあることは、言葉遊びに過ぎません(いろんな本の著者さん私の稚拙な文章といっしょにして申し訳ございません!)。
言葉遊びですが、私たちの日常は言葉(思考)の世界ですので、言葉は絶対的に必要です。
実践して体験していくしかないですね。
焦りは禁物です。マインドフルネスに期待もしてはいけません。
期待すると心が落ち着きを失います。
顕れてきたいろいろな思いと闘わず、またエゴによってカテゴライズせずにまっすぐに観察し、受け入れ、執着しないことがポイントだと思います。
詳しい実践方法は、冒頭で紹介した本等で調べてみてください(丸投げ)。
今回は最大級に苦戦した上に完敗でした。。。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
この辺とも実は関連性があるので興味があれば読んでみてください。
それではごきげんよう(^^)/