いまさら聞けない!仏教ってどんなもの? その1【仏教って何ですか?】
みなさんこんにちは!
ろくでもないくらい暑くなってきましたね。
”いまさら聞けない!仏教ってどんなもの?”シリーズ始めます!
何回やるもか内容もまったく考えていません!(大丈夫か?)
気ままにやります。出たとこ勝負!
その1
【仏教って何ですか?】
これを知らなきゃ始まらない!
毎度のことですが、先に断っておきます。完全に主観です。
では、お付き合いください。
目次
仏教のイメージ
みなさんは仏教にどんなイメージを持っていますか?
宗教、仏像、お寺、お経、哲学、念仏、修行、坐禅、葬式、お墓参り、お坊さん etc.
私もこれらのイメージ持ってます。
多くの人は古いもの、法事の時に行くところのイメージが強いのではないでしょうか。
つまり、日常生活と離れたものというイメージです。
そんな現状に危機感を抱いたのか、そうでないのかわかりませんが、仏教関係者の中には、それぞれの発想を活かしアクションを起こしている人もいます。
いわゆる坊主丸儲けの時代は終わりました。現在、日本全国の寺院は転換期を迎えています。しかし、多くの場合はなかなかうまくいかないのが現実だと思います。
それはなぜか。
私は寺院側(寺院側と言いましたがとりあえず私です。お寺の人がみんな思っているわけじゃないです)と世間一般の仏教に対するイメージのずれが原因なのではないかと思います。根拠のあるデータがあるわけではないですが…
ずれというのは多くの人が仏教に「非日常性」を感じていることです。
仏教関係者には仏教が日常ですから当然のずれですね。しかし、このずれが世間と仏教の溝を深めていては問題です。
だって食わず嫌いはもったいないでしょ?昔は嫌いだったけど今は好きとか、食べてみたら意外とおいしかったとか、やっぱりまずかったとかあるじゃないですか。
今まで食べる機会なかったなら、今がちょっと食べてみる機会ですよ!
一応私のイメージも書いておきますね。
私は仏教は生き方だと思っています。そして、お寺は布教の拠点です。
例えば、法事もお墓参りも布教の一側面です。実際は結婚式もするし、お祭りもします。
観光地になっているお寺だとお坊さんが案内してくれるところもありますね。ありがたそうな話を聞いて、へえーって思ったりするわけです(笑)
私が住んでいるお寺には近所の少年少女が毎日のように遊びに来ています。梵鐘(おっきい鐘)撞かせてくださいって言って掌を合わせて鐘撞いていきます。
どれも布教の拠点に当てはまりそうな感じがしますがどうでしょう?
仏教は生き方。私と同じイメージの人いましたかね!
何がしたいの仏教
先ほどお寺は布教の拠点と言いましたが、
布教と聞くとなんとなく抵抗を感じる人もいるんじゃないでしょうか。
私は大いに感じるタイプです。なんか生き方を強要されているみたいで、押しつけがましいと思っちゃうんです。押し付けられてると感じたらもう聞く耳なんてないですよね(笑)
そんな人たち!
ああしろこうしろなんて強要は一切ありません。
自分で決めてください。去る者は追わず、来るものは拒まずです。
仏教は生き方と言いました。
仏教的な正しい生き方というものはあります。殺してはいけないとか、奪ってはいけないとかもちろんあります。
お釈迦さまは戒律を定めてそのように生きなさいと言っています。
お釈迦さまがどのようなことを戒め、またすすめたのかを詳しく知りたい方は、『ダンマパダ』や『スッタニパータ』というお経の訳本があると思うので見てみてください。中村元先生の訳が岩波から出ていますが、中級者以上向けだと思います。
いやいや、生き方強要されてますやんと言いたい方、気持ちはわかります。
ただわかってもらいたいのは、お釈迦さまはそれらの言葉を自分に付いてきた者に対して残しています。それは出家した弟子であり、出家はできないけれどお釈迦さまに教えを求めた在家の人々です。
求めた者に答えたんです。クリスチャンを捉まえて改宗を迫るようなことはしません。そもそもクリスチャンはまだいませんでした。
また、教団をまとめるには規律が必要だったんです。現代だって法律がなかったらカオスですよね、それと同じです。
私たちがなにを信仰していようが関係ありません。
求めれば示してくれるんです。両さんだって、中川くんだって、麗子さんだって、部長だって、寺井さんだって、白鳥だって、マリアさんだって、爆竜大佐だって、ジョディさんだってです。例外はありません。
扉はいつでも開いています。はじめましても出戻りも、いつでも扉をくぐれます。
何トンもある扉に試されることはありません。
さあ前置きが長くなりましたが
何がしたいの仏教。
ひとりでも多くの人に素敵な人生を送ってほしいんです。
お釈迦さまは悟りを開かれたあと、ひとりでも多くの道に悩む人に教えを説くため、生命の尽きるその時まで旅をされました。
日本の各宗派の祖師方も自分に伝わった教えを守ってこられました。そうやって受け継がれてきたものが、しょぼいわけないじゃないですか(笑)
素敵な人生のヒントが眠っているはずです。
結局何ですか仏教
どうやら仏教のスタンスは実は結構身近なもので、ちょっとは知っておいてもいいかという気がしてきましたね(?)
それでは仏教的な生き方がどのようなものか、少し触れてみますか!
小難しいことはなしに素直な心で見ていきましょう(笑)
ではまず、基本からいきましょう!
仏教という言葉の意味です。
ずばり、仏の説いた教え、仏になるための教えです。
まあそのままですね!
次に、仏とは誰でしょうか!
ブッダのことです。ブッダは仏陀と表記します。意味は悟った人です。
つまり、悟った人はみんなブッダです。お釈迦さまも悟った人のなかの一人ということですね。
そばかすの少年「なるほど、じゃあ仏教は悟った人が説いた教えで、悟るための教えなんですね!」
私「その通り!」
そばかすの少年「悟るっていうのはどういうことなんです?真実はいつも一つってことですか?」
私「いい質問だね!じゃあ悟りについて簡単に説明しようか!」
悟りですね~。
しばらく前に悟り系男子とか悟り世代なんて言葉が流行りましたね。あれはどういう意味だったんでしょうか(笑)
それはさておき…
悟りとは、
迷いの世界を超え、真理を体得すること。
と岩波仏教辞典(370ページ)に書いてありました。なんだかわかるようなわからないような感じです。
迷いの世界はなんとなく、私たちが生きているこの世界かな~という気がしますが、真理って何でしょう?
困ったら岩波仏教辞典です。
すみません!よくわかりませんでした!(595ページ参照)
まことのことわりって言われても、そのままやないかい!
とりあえず私的解釈で正しい生き方としておきたいと思います。(みなさんの解釈教えてください)
まとめてみましょう!
悟りとは、
私たちが生きている迷いの世界(悩みが尽きない世界)を超えて、迷うことのない正しい生き方を身につけること。
仏教とは、
悟った人が教えてくれる正しい生き方であり、自分の悩みを乗り越えさせてくれる教え。というところでしょうか。
どうでしょう。だいぶわかりやすくなりましたね!
次回予告
いかがだったでしょうか?
キリがいいのか悪いのか、今回はここまでにします。
次回は仏教誕生秘話というと大げさですが、どのように仏教が起こり広まっていくのかを書いていこうかな!
それではまた!ごきげんよう(^^)/